Blood empire -血を統べし者 5-

Blood empire -血を統べし者 5-


神父が生み出す――鮮烈なまでの『彩』と甘やかな毒。
完全にそれに呑まれたウェイトレスの瞳には、既に仕事中であるという意識さえ蒸発してしまっていた。


「……随分と、綺麗な手をしている」


ごくさりげない動きで、神父はウェイトレスの手を握り、自身の手を重ねる。
その大胆な行動に、ウェイトレスは熟れた林檎のように頬を赤くし――だが、振りほどこうとはせずに。


「そ、そんな……私より、お、お客様の手のほうがずっと……」
「俺が言っているのは、単なる造詣の美での『綺麗』ではない」


一流のピアニストを思わせる、細く白い指が――そっと重ねた手の甲を撫でて。


「働き者の手だ……それでいて、手が荒れないよう、大事にされている手だ。
 手は、己自身を表す体の一部だと俺は考えている……こういった手を持つ女性は、己を誇っていいと思うぞ」

しっとりと伝わってくる、手のぬくもり。
冬の静かな湖畔を思わせる静謐さの中に、包み込むような暖かさを含んだ声の響き。
碧瞳はただ、彼女だけをその内に映し――鮮やかにして、艶やかなその微笑みに。


抗うことが出来る女性など、果たしてこの世にいるのだろうか――


だが――神父の醸し出していた雰囲気を引き裂くような、鋭く乾いた音。
同時、催眠術が解けたかのように霧散してしまった気配にウェイトレスは我に返り、神父は手の甲を押さえて舌打ちする。
振り返った神父の視線の先にいたのは――神父の隣に座り、紙ナプキンの端を手にした年若い尼僧だ。


「……手癖の悪い女だ」
「女癖の悪すぎる貴方に言われる筋合いは無いのよ不良発情神父。――それより、あたしにも一杯頂けますかしら?」


冬の風より尚厳しい一言で斬り捨て、一転して花咲くような笑顔を浮かべる。
そんな尼僧の様子に、我に返ったウェイトレスは慌ててグラスに水差しを傾ける。


続けて、自分のグラスにも注がれる水を横眼に――女性は改めて、尼僧の姿を眺めやった。


何もかもが、神父の逆に位置するような女性だった。
神父の神が月無き夜なら、尼僧の髪は天より注ぐ御光を思わせる――見事な金色。
どこまでも澄んだ空と海の色を思わせる双眸は、色鮮やかな水宝玉アクアマリン
まだ『女』と呼ぶには重ねた年月が足りないが、くっきりとした目鼻立ちと桜色の唇が印象的なその造詣。
熟した女性には無い、可憐さと瑞々しさを備え――晴れ渡った青空を思わせる、活き活きとした輝きがあった。


そしてそれは、形は違えど――神父に劣らない、強い『彩』を感じさせる姿であるというのに。
尼僧はその身に宿した『彩』を、聖職者としての意思と服装で見事なまでに押さえ込んでいた。
金の輝きは頭布で隠し、腰まで届く後ろ髪は三つ編みに束ねて腰の辺りに垂らしている。
黒を基調とした尼僧服を一部の隙無く着込なした姿は――正に模範的な神の僕。


この若さでありながら、見事なまでに、自分自身を律することを会得している。
そういった意味からも、正に聖職者の鏡と言うべき――そんな尼僧。


……最初に出会った時の鮮やかな飛び蹴りや、目の前の応酬には目を瞑る事とする。