fate/zero 煉獄の炎

くはああああああああああああ!!


……読了後、肺腑からもれ出たのは満足げなこの吐息だけでした。
fate/zero 全四巻――

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ついに、完結ッ!!
(以下、若干のネタバレと後書からの引用を含む。注意)


虚淵玄氏を迎えて始めたこのシリーズも足掛け一年、ついに完結。
鬼哭街と同じ興奮を、昂揚を、最後の1ページを読み終えるまで味わう事が出来た事がこの上なく幸せでした。


終結へと向かう第四次聖杯戦争。残されたサーヴァント達の、死力を尽くす総力戦……。
激突する『王』と『王』。騎士王の前に、ついに明かされる“バーサーカー”の真名。
散り逝き、あるいは残された者達……そして煉獄の炎の中、救い上げられたたった一つの小さな命。


それはstay/nightへと至る物語。結末は既に、同作品で語られている『過去』の出来事。
にも拘らず、最後まで気の抜けない、気を抜かせない疾走感で作品世界に引きずり込まれる。
マンガでもアニメでもない。『文字の羅列』という情報媒体だからこそ、これだけ長期に渡って持続する高揚感。
だから『本を読む』行為は、この快感は止められないんだとつくづく思います。


fate/zeroが発売された時、手にとって「面白いな」と思いつつも、
「また購読層から金を毟り取る二次産業展開か」との気持ちもまた、胸を過ぎりました。
TYPE-MOONが商業化してから五年、作成されたのはfateただ一作のみ。
それからはファンディスク、漫画、アニメ、家庭用移植、ミニゲーム移植、アーケード化……。
全てが『同じ作品』を展開したものです。ここまで酷いと流石に、
『複製品・劣化コピーを何度重ねて、どこまで金を毟る気だ』という気にもなってしまいます。


が、この『二次展開』というモノに対し、虚淵氏はあとがきで自分のスタンスを言及されています。

>二次展開というものは、果たして“是”なのでしょうか? “否”なのでしょうか? 是であって欲しいという『祈り』は、今もなお心の奥底にあります。かつて終わらない物語に憧れた頃の気持ちは、今でもなお忘れられません。
 
ところが『感情』は声高に“否”と叫ぶのです。どうせろくな事にはならない。ただネームバリューを引用され、旧来のファンが食い物にされるだけだ。新しい作り手は、どうせ成功したところで評価も名声も原作者と分かち合うことしか出来ない。
そんな仕事に情熱を注いでくれるわけがない。適当にお茶を濁す程度の品質で放り出し、あとは広報のお祭り騒ぎで売り逃げしてそれっきり。――そんな光景ばかりを、もう何度も見せられてきました。今さら『祈れば想いは届く』などと、どうして能天気に信じられましょうか。
 
>リサイクルによる原料の劣化など、まさに再生紙に品質を問うが如きナンセンス。どうせ買う側は気にかけず惰性で買い続けるのだから、売る側が気にするわけありません。
 
>二次展開は儲かるのです。あっちこっちで色々な人たちの収益になるのです。そんな公共の利益に“否”を叫んだら、大勢の人を怒らせます。怖い思いをします。仲間を失い、スポンサーを失い、オマンマの食い上げになります。


それが理解できる程度には、私も大人になりました。
(TYPE MOON BOOKS 『Fate/Zero Vol,4 -煉獄の炎-』 著:虚淵玄より引用)


諦念にも似た言葉を先に提示した上で、氏はこのように締めくくっています。

>二次展開というものは、果たして“是”なのでしょうか? 
そこには確かに情熱があり、でもそれに倍する打算があります。
多くの素晴らしい派生が生まれ、でもそれに倍する冒涜が氾濫してます。
 
>そのうち、考えるのが疲れました。ええ、面倒臭いこと思い悩むのが苦手な性分なんです。考え込むくらいなら身体動かしてた方が余程いい。
 
ウダウダ四の五の言うくらいなら、テメェがテメェの納得できるような二次展開やってみりゃあいいじゃんか。外野に突っ立って顰め面だけしてる方がよっぽど卑怯なんじゃないか。
 
もちろん、とんでもない綱渡りです。原典を愛する心があっても、それを支える技術と、達成する体力が伴わない限り、成功などおぼつきません。そして失敗のリスクは途方もなく甚大です。損なわれるのは自分の評判だけではない、自分が愛した物までも冒涜する結果になるのですから。
 
 
まあ、結局やっちまったワケですが。

 
 
(TYPE MOON BOOKS 『Fate/Zero Vol,4 -煉獄の炎-』 著:虚淵玄より引用)


こうして紡がれた、fateの『二次展開作品』―― fate/zero
最後に吐露したこの作品に対する姿勢が、どのような形で現れているかは……。

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