父親が無くなってから、もう半年。
そろそろ迎える、初めての盆。


既に三度ほど、亡くなった父親の夢を見た事があります。


が、メッセージ性のあるような夢ではなかったように思います。
寝巻きにガウンを着て、夢の中でも生前と全く変わらないように過ごしている。
部隊はいつも家の中、床に座布団をしいて枕代わりに寝そべりながら、
西部劇の映画の映画見ながらウィスキーをちまちまやったりとか。
そのあまりの自然さに、夢の中でありながら途中までいつも死んだ事に気付かないんですよ(笑


んで、

アル

「そういや親父、死んでたよな?」

父親

「ああ」

途中で気付く。
あっさり肯定する父。


家族の中で、父が死んで一番ショックを受けていた母親に父がいることを伝えると、
母親にはそれが見えないという。
そんな中で、ああ、やっぱり死んだんだなぁ、と冷静に思ったところで眼が覚める……と。


どうやら父が死んでから夢に見ているのはオレだけのようです。
母親も妹も聞いたところ一度も見た事が無い、と。
別段霊感があるわけでもなく、生前さほど深く語り合ったりした事も無い
(小さい頃は孫のように可愛がられていましたが)
のに、こういった夢を度々見るあたりが『親子』なんだなと思います。


死んだ人間というのは、死んだ時と同じ格好で存在し、
死の間際の苦痛を常に負っているものだそうです。


そう言われてみると、夢の中で父親の格好はいつも死んだ時と同じ服装ですし、
家の外の情景の中で父親の夢を見たことは無い。
特に辛そうな様子が無いのも、検死をしてた人も仰ってましたが、
死の間際に殆ど苦しむ事も無く亡くなったからなのでしょう。


何にせよ、死後も自分なりのスタイルで楽しくやってくれてるようで。
どこまでも親父というか、なんというか……。
まさか死んだ後に、人也を見直すことになるとは思いませんでした(笑


思っていた以上に、親っていうのは凄い。